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・私と煎茶・ 晩秋の朝、文房の畳はまだ冷たい。 朝日が机上に辿り着くには、九時近くになる。 四日市の茶友である葛和氏から頂いた、水沢の煎茶を汲み出し茶碗でたっぷり頂く。 渋さの旨い茶が、朝に弱い私には良い。 まだ視点の定まらない虚ろな目で、火鉢の埋火を掻き起こし、小さな炭を数片添える。 鉄瓶の中の水は、社中が茶会用にと、亀岡の湧き水を汲んできてくれた残り水。 今日は一日中画を描く日と、数日前から決めていた。 筆洗は、まだ洗って伏せたまま。 ずぼらをして、茶碗から茶を硯に垂らし、墨を磨る。 まだ線香には火を点けない。 茶の香、墨の香、線香の香へと重なっていく香のグラデーションを楽しむためである。 墨が磨りあがり、用意も整ってから、何時ものように白檀の線香で始まる。 午前中は筆が進む。 左脇にある火鉢の上で、いつの間にか鉄瓶がグゥーとうなっている。 朝に淹れたままの萬古の急須に又湯を注ぐ。 やや黄色味かかった水色の茶を啜る。 まさに月潭道澄の「煎茶歌」にある、 「燗烹すれば 便ち酌んで枯腸を潤す 三盞を喫し了って 精神爽やかなり」である。 煎茶は美味しいのである。 軽い軽食を摂る。 我が茅居では、食事の時は家の者のオリジナルブレンドの煎じ茶と決まっている。 煎茶ではなく、色々な植物を煎じた汁ということである。 私は内容物を知らないが、体に良いと聞かされている。 また画仙紙に向かう。 昼からは、画を描くことに集中できず、 とりあえず文房の急須棚から、お気に入りの急須を選んで玉露を淹れる。 画が進まない時は玉露に限る。 手間がかかって、気が紛れるからである。 一煎舐めって筆を持ち、すぐに又二煎目を舐めり、また筆を持つ。 三煎目は鉄瓶から直接急須に湯を注ぐ。 熱くて急須が持てないので、しばらく筆を持つ。 頃合になったら、茶碗にたっぷり注ぐ。 そうこうしているうちに、西大寺の僧侶である中野氏がやってきた。 「玄米茶は、煎茶の出し殻を干して、そこに米を炒ったものを加えて、 また飲んだという、昔の貧しい頃の工夫から始まったと聞いた事があるが、これは本当か?」 ということを尋ねに来たと言う。 「知らない。」と答えた。 彼はそれ以上聞こうとせず、私の筆を取り、半紙に凡字を書き出した。 真言律宗の僧侶である。 私はその間、奉書に大和茶の煎茶を包み、火鉢で焙じて彼に焙じ茶を勧めた。 そして私は、凡字の力強さに負けじと、文与可に倣って、幹の湾曲した竹を描いて添えた。 彼とはいつもこうである。 茶を飲みながら彼は字を書き、私は画を描く。 時の過ぎるのを忘れて。 家の皆が寝静まっても、まだ文房にいる。 私と同じ煎茶の家元である、松月流の渡辺宗敬宗匠から頂いた、 取って置きの伽羅の線香に火を点け、沈周や文徴明の古い法帖を眺める。 先日、大阪の古書店で、ゴミのような本の山の中から見つけた、私の秘宝である。 手元には、マグカップに烏龍茶である。 6月に台湾の友人である劉氏の茶館を訪ねた時に頂いた、極微醗酵の精品の高山茶である。 「売茶翁が長崎で勧められた武夷山の茶は、烏龍茶である。」 と、勝手な持論を巡らす。 と言う事は、日本人で最初に烏龍茶を喫したのは、売茶翁かもしれない。 ・・・・・三更の時。 マグカップに、また鉄瓶の湯を満たし、火鉢の火を埋める。 枕元までマグカップを運び、明日の画の教室のために、「芥子園画伝」を復習する。 とある一日の、私と煎茶(茶)の拘りである。 BACK |