・大木・



大きな木の根元にいると落ち着きます。
根を四方に張っていて、少しの地震くらいでは、びくともしないでしょう。
でも、その様な話ではないのです。



苔生し、ひび割れ、曲がりくねっていることもあります。
これらの姿は計り知れない長い時間の結果です。
ずっとここにあるのです。

ここに降った雨と、ここにある土だけで生きているのです。
こんな人間がいたらどうでしょう。
醜いとは思わないと思います。

悩んだり、苦しんでいる時、
側にいるだけで心が落ち着き、導いてくれるような気がします。



昔の人はこのような木を神として祀りました。
人間の本能なのでしょう。この感情は。

荘子は言います。
大木は祀られることを目当てに長生きしたのではないと。
切られることの無いよう、無用の木であろうと努めていた結果だと。
だから祀られようと、祀られまいと、木にとっては問題ではないのです。
人に認められようと媚を売ることなく、役に立とうと努力するでもなく、
ただただ無用に生きてきた結果、今もここにあるのです。
木からは何も話しかけてきません。

私の存在なんて、彼の人生からすれば、まばたき以下でしょう。
絶対的な存在なのです。だから私を引き付けるのです。

数年前に春日奥山原生林の、樹齢1000年以上の大木に雷が落ちて焼けました。
ちょっと頑張って他の木より大きくなってしまった所以です。
2週間ほど燻り続けたそうです。
しかしまたそこから芽吹き、枯れずに生きているそうです。
しばらくは、安泰です。しばらくといっても1000年くらいの話でしょうね。
科学的な根拠は必要ありません。

大きな木の根元にいると、絶対に安らぐのです。
なのに日々、世界のあちらこちらで大きな木は切り倒されています。
本能を失った生物は、やがて絶滅するでしょう。
皆さん、大きな木の下で一息ついてください。
自分を見失なわないために。

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