・葫蘆・
(ころ)

日本でいう夕顔(かんぴょう)のことです。
しかし、瓢(ひさご)も夕顔の仲間なので、中国では総称してこう呼びます。



夏の盛りも過ぎ、大きく実ってきました。
葉が覆い茂っている時は、山居の玄関前に小さな日陰を作ってくれたのですが、
いまでは無残な姿になっています。



その代わりに実は日々大きく太り、
青々とした張りの良いプロポーションを誇示しています。
近づいてよく見ましょう。



夕立に洗われた実には、白く輝くうぶ毛が見えます。

『論語』の雍也篇に、こんな一節があります。
子曰。賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂。回也不改其楽。賢哉回也。
 
孔子が言うには、
「回は賢人である。竹籠の弁当箱(箪)一つに瓢一つの水しかなく、その上路地裏住いである。
普通の人間なら不安や焦燥に耐えられないであろう。
しかし回(顔回、孔子の弟子のひとり)はそんな暮らしを楽しみ、改めようとしない。賢人だな、回は。」

瓢箪の語源です。
「一箪の食、一瓢の飲」清貧の代名詞です。

つまり瓢箪とは、竹で編んだ弁当箱と水を入れる瓢の両方を含む意味になります。
私は「瓢(ひさご)」又は「葫蘆(ころ)」と呼ぶようにしています。
歴代の文人画にも、そう書かれているからです。

ちなみに、吉祥図案としても、瓜や瓢がよく描かれています。
蔓を長く伸ばし、その先には大きな実がなり、中には種が多く入っています。
その姿から「子孫繁栄」「多子」「萬(蔓と萬は同音)代」の意味をもって描かれます。
又日本では6個の瓢で「六瓢(むびょう=無病)」の意味をもつ吉祥図として描かれることもあります。



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