四季の草花 臥遊
春
「上善若水」
・ジョウゼンミズノゴトシ・
春雨、春時雨、菜種梅雨、花の雨、軽雨、春霖雨・・・・
春の雨の季語です。
スカッと晴れ渡る春空も良いですが、春雨の風情もまた美しいものです。
山居は里山の中腹にあり、敷地の中を小川が通っています。
小川といっても、1週間雨が降らなない日が続けば水は枯れてしまい、
大雨が降ると、あっという間に激流に変じます。
その流れを庭に引き、水音を楽しみ、草花を育て、畑の野菜を洗い、手足を洗い、
時には動物たちの飲み水に。
山居暮らしと水。
とても身近なものです。

八重桜の花が散り始める頃。
おりしも昨夜から降り続いている春時雨に、風に舞うはずの桜の花弁が、
岩肌に押し付けられ、身動きが取れなくなっています。
川から引かれた細い流れは岩肌を伝い落ち、小さな窪みに溜まります。
溢れた水は、またその下の窪みに溜まり、こんなことを数度繰り返し、
時折花弁も引きつれて、やがて小さな池に流れ落ちます。
そしてその池から溢れた水は川へと戻り、最後には海に流れ着くのでしょう。
そのような水の身の振りを縁側から眺めていると、
いつものように妄想の世界に迷い込みます。
「上善若水(ジョウゼンミズノゴトシ)」かぁ・・・
かの『老子』には、水のように振舞えと。
「最高の真の善とは、水のはたらきのようなものだ。
万物の成長を助け、争うことなく、多くの人々が蔑む低いところに自ら向かって、留まる。
故に「道」のはたらきに近いものである。」
この「道」とは・・・・この水の流れのようなもの?・・・水そのもの?・・・
そう考えているところには「道」はない?・・・・
考察するものでもなく、もちろん論じるものでもないようです。
そういえば、臨済の正風に身を投じていた僧侶が僧籍を捨て、
売茶翁と称し、鴨川の河辺で自ら茶を売り歩き、
やがて川の流れと共に去っていきました。
私淑している人です。
またこのようにも書かれています。
「世の中で水ほど弱々しいものは無いけれど、
それでいて堅くて強いものを攻めるとなると、水に勝るものはない。
それは、水の性質を変えさせるものはほかには無いからである。」
山をも砕く力があるのですから・・・・なのに、掴もうと思っても掴めない・・・・・
かといって、水は山を砕こうとは思っていない。逃げようとも思っていない・・・・・
いつの間にやら春雨は去り、風光り始めました。

時折迷い込んでしまう迷路は、どうやら上にも下にも流れない、滞った世界のようです。
ぼ〜としている時間があるなら・・・・・少しでも前へ進まなければ?
いえ、下へ流れなければ!です。
※以下原文と読み下し。
上善若水。水善利万物而不争、処衆人之所悪。故幾於道。
上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道にちかし。
天下莫柔軟於水。而攻堅強者、莫之能勝。以其無以易之。
天下水より柔軟なるは莫し。而も堅強を攻むる者、これに能く勝る莫し。
其の以って之を易うるもの無きを以てなり。
<講談社 中国の古典 老子「無知無欲のすすめ」 金谷 治著>他を参考にしました。
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